女性のいない世界
生まれてくる子は、女の子がほしい、男の子がほしい、どんな子がほしい……考えたことありますか?
これは恐ろしい本です。しかし、知らないままこの恐ろしい世の中を渡るよりは、読んでよかったという本。
著者はアメリカ人ジャーナリスト。ある時、中国、インド、アゼルバイジャン、ベトナム、韓国、アルバニアで男児が増えていることに気づく。
生物学的に女子100に対して男子105生まれるのが人口統計学の常識。男性の方が若くして亡くなる確率が高いので、均衡を保つためにそうなっています。
しかし1980年代の韓国、台湾、シンガポールでは109を超え、現在の中国とインドは120を超える。それらの国々では幼児殺しが行われたり、一番多い理由は中絶されたりしていた/いるから。
自然な性比105を保っていたらアジアにはあと一億六千万人の女性がいたはずだそう。ものすごい数です。それはアメリカの女性全てよりも多い数なので、全米で男だけというのを想像してみようという話が出てきます。だからそれが本書のタイトルになっているんでしょう。
一億六千万人の女性…日本の全ての女性よりも、もちろん多い。女性のいない日本を想像してみてください。
丸一章を使って男性が多い世界がどのようになっているか報告され、これから更にどのようになるかが推定されています。男性の方が反社会的行動が多く、犯罪率、事故率が高い。
既婚男性はそういった反社会的かつ危険な行動を起こすテストステロンが低くなるが、女性が少ないことから結婚ができない余剰男性が生じてしまう。余剰男性達の問題行動を起こす確率はもっと上昇します。中国の憤青達の話も出てきて、なるほど。
この本に出てくる女性は、出生前から望まれず、わかったら中絶され、幼児期に殺されるというだけでも充分に酷い。無事に大きくなっても勉学による収入を期待されず、嫁が足りない地域へ誘拐され、あるいは親に売られ、花嫁や売春婦にされ、虐待され、逃げ出しても故郷で受け入れてもらえません。女性は財産でも物でもない!と女性であり娘を持つ私は憤りました。
そして、そういう男児を望んで間引かれたり中絶したりという現代の話には日本が出てこないからホッとした頃、日本は二次大戦後に戦勝国の実験台にされた話。
日本は女性の体に負担にならない避妊器具やピルでなく、中絶という負担が大きく倫理的に問題になる手段が彼らによって推奨された。産児制限をすると経済的に豊かになるという理論を証明するためだったと説明されています。子供を持ちたいと考えているかどうかは外からわかりにくいので、既に妊娠した人を出産できないようにしたほうが効率的だからと。
その名残でいまだに日本では低用量ピルが普及していないし、アフターピルもこれほど手に入りにくいのだとしたら許しがたいことです。彼らが誰だったのか、本書を読んでください。
読みながら私は、一般的に女の子は育てやすいと言われているし、女の子ならではのいいところはたくさんあるし、どうしてその国々は男児がほしいんだろう?と疑問に思っていたんですが、最後の方にアメリカでは女児をほしがる人が多いという部分を読んでなんとなくわかりました。
みんな「らしさ」がほしいんだと。女の子らしさ、男の子らしさ。家を継いで老後の自分の面倒を経済的に見てくれることを期待して男児を持っても、全然そういうことに向かない男性になることは考えない。アメリカ人達が可愛い洋服やアクセサリーを身につけさせて一緒に楽しくショッピングできる女児がほしいと思って、ユニセックスなファッションを好む女の子だったらガッカリする?
男児がほしい、女児がほしいというのは、自分の理想の子どもがほしい、それ以外だったらいらないという傲慢さです。
既にアメリカではデザインされたベビーを得ることができます。背が高く、目が青くて金髪、IQが高くて、男/女で……私自身の宗教観を持ち出すまでもなく、恐ろしいことです。
理想とする以外の子どもを存在させないというのは、世界を歪めるんだとこの本を読んで考えました。私達が既に見知った男女比がほぼ均等な世界だって、問題は充分にあるのに、男女比が極端に偏った世界はもっと大きく様々な解決不能の問題を起こします。
親の存在意義であり一番の大事な仕事は、子どもの安全を守って成人させるということだと私は思います。そのためにはその子がどんな子どもなのかを知り、あるがままの子どもを受け入れることが大事なんだな、過剰な期待とかガッカリは、大きなお世話どころか有害でさえあると感じました。
最初の子どもが生まれる前に思った「どんな子どもでもいい。頭が良くなくても、運動が得意じゃなくても、無事に生まれさえしたら神様に感謝する。」という気持ちを私は思い出し再確認しました。